日本の柑橘史 その1
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西宇和の土地で本格的にみかんの栽培が始まったのは、1895年で100年以上も昔です。
現在のように大きな産地ができ、安定的に作られるようになったのは、人類の歴史的には最近のことですが、柑橘(かんきつ)そのものは、昔から存在し、私たちの生活に溶け込んでいました。日本における柑橘の起源をたどると、古事記や日本書紀に記された神話時代までさかのぼります。

橘の実

橘の実

日本書紀の中には、田道間守(たじまもり)という人物が、垂仁(すいにん)天皇の命を受け、常世の国へと非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探し求め、10年もの苦労の末に持ち帰ったという話があります。
常世の国とは、海の彼方にあると考えられていた不老不死の国のことで、そこに生える「時に関係なく香る木の実」である非時香菓は、不老不死をもたらすとされていました。そして、その実こそが現在の「橘(たちばな)」である、と記述されています。橘は、日本の柑橘の元祖といえますね。
残念ながら戻ってきた時には、天皇は崩御した後で、失意の中で亡くなったといわれていますが、こうした説話から田道間守はみかんや菓子の神様として祀られています。

橘の木

橘の木

常緑樹である橘は、永遠性の象徴として縁起が良いとされています。文化の発達に関して特に顕著な功績のある方へ授与される文化勲章のデザインにも、橘の花、葉、実が用いられています。
橘の発祥に関する事実や品種は正確には分かりませんが、古事記や日本書紀という、日本最古の文書にあるように、柑橘ははるか昔にすでに存在していたようです。

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