日本の柑橘史 その3
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2019.6.19
明治時代になると、実が大きく、皮がむきやすい上、甘みが強い温州みかんが人気となり、本格的な生産が始まりました。日本の各地で温州みかんが導入され、その生産量もどんどん増えていきます。
今や柑橘といえば、温州みかんがイメージされるほど数が多く、人気の品種となっていますね。ポンカンや伊予柑、タンゴールといった品種が日本に登場したのも同じ時期で、西宇和でもさまざまな柑橘が導入されました。
しかし、みかんには温暖な環境が必要なため、どこにでも大規模な産地ができたわけではなく、生産地から日本各地への輸送が課題でした。当時は現在ほど輸送手段が整備されておらず、船や鉄道により、主要な産地を中心に運ばれていました。
やがて、トラックなど機動力の高い交通網が発達すると、日本全国へみかんが届けられるようになり、さらにはカナダなど、海外へも日本のみかんは広がっています。
その後も、温州みかんの生産は伸び続けていましたが、柑橘の品種が多様になったため、次第にみかんの生産量を増やすだけでなく、品種改良や質の向上が目指されるようになりました。
その結果、技術が高まり、栽培の方法も改善されることで、今のようなおいしいみかんが作られるようになりました。
こうして歴史を振り返ってみると、柑橘が冬の名物となり、誰もが毎年のように食べられようになったのは、意外と近代になってからだと分かります。多種多様でおいしい柑橘があるのは、はるか昔からの先人の努力の積み重ねによるものなのです。